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イグアス移住地。

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歩いていると、日系人の方は勿論パラグアイ人も こんにちは と挨拶してくれる。

思春期の年頃の男の子だったら絶対ツンツンした子も多いだろうに
ここでは皆、すれ違いざまの挨拶がとっても自然。
私が外国人であることなんて関係ない。
きっと、ただの日々の習慣。
けど私はその度にちょっと嬉しい。

イグアス移住区の子供達は、とっても素直で、とっても大人びている。


前回のブログにも登場した壱番さんは、日本人会で働きながら
日本語学校で子供たちに勉強を教える先生でもあり、校長先生でもある。
いろんな肩書を持っている。



お話を伺った時、とっても忙しいのに夕食までご一緒させてもらって

今度学校でお寿司の体験授業をするから良かったら来ませんか?とお誘いまで。


早速、学校にお邪魔させてもらう。

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学校は小学校・中学校・高校と同じ建物で、日替わりで開設している。

高校生の授業にお邪魔させてもらったのだが、
なんと!こないだ銀行で両替してくれた銀行員さんがいた!!
ちゃんと高校を卒業したいからと、皆より一つ年上だが働きながら学校に通っているそう。
覚えていてくれたようで 「こないだはありがとうございました」 と挨拶までしてくれた。

よく先生不足とは言うけど、高校生でありながら小学校の先生をしているという生徒さんも。
生徒であり先生。これは初めて。衝撃です。                

イグアス移住区の子供達は、みんな生まれた時から一緒に育つ。
たーーっくさんの人で溢れている街と言うほどでも無いので、移住区の人みんなが知り合い。

だから、みんな本当に仲が良い。
授業を見ているだけでも、十分に見てとれる。
私が丁度学校に着いた時、今度あるバザーの役決めをしていた。
長く付き合ってる分、それぞれの役割を知っているから、誰はこれがいいんじゃないかとか、
褒め合いながら冗談言いながら、実にクラス皆が仲良くてまとまっているかわかる。

学校から帰る時、生徒さんが 「カラオケ行きましょうよ!」 と誘ってくれた。
ここのカラオケはスナックみたいな感じでお酒も飲める場所。
パラグアイではお酒は18歳から解禁。
高校3年生になると飲めるのだ。
親も、先生が一緒ならと安心して行かせる。
カラオケでは学校が終わっても先生と生徒が一緒に笑いながらお酒を飲んで歌って楽しむ。
そこには他のおじさん達もたっくさん。
ここでは全員が友達のように話しては遊ぶ。

先日連れていってもらったビリヤードも、見た目おじいさんの一世の方と、高校生、
パラグアイ人の20歳の人達が一緒になって、いつものように楽しんでいた。

そうやって、子供と大人が一緒に楽しむことが日々日常なので、
ここの子供達はしっかりしてて大人びているのだろう。


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他国の日系人はスペイン語は話せても、日本語がカタコトになってしまっていることがほとんど。
世代交代で、だんだん日本語というものを忘れてしまっているのだ。

ここは、ネットで日本のテレビや情報をリアルタイムで見ることができるし、
何よりもまだ一世の方がたくさん残っているので日系3・4世といっても、完璧な日本語を話す。
日系人とわかってるはずなのに、いつ日本を出てパラグアイに移ったんですか?と聞きたくなるほど。
そこらへんの日本の若者よりも、ずっとまともな日本語を話す。
つい、私が「それ超面白い」とか言えば注意されそうなほど。

ここの人達は皆 スペイン語・日本語・グアラニー語(パラグアイ独自の言葉)の トリリングルなのだ。

他の日系人よりもパラグアイの日系人は、日本語がネイティブ並、かつ性格も素直なので
日本でも仕事が結構見つけ易く、重宝されるらしい。
パラグアイで仕事が少ないので、出稼ぎに出たまま帰ってこない人が増えているのも
現在の難しい問題ではあるが。。


話す言葉だけでなく、人の性格の中にも日本人らしさが濃く感じとれる。

話す言葉は同じでもやっぱり現地人だなと思うことはよくあるが、ここは違う。
日系人だけど、みんなが守ってきた日本がここにある。



旅をしていると、現地民よりも汚い格好をした日本人旅行者を見かけることがあるが、

イグアス移住地の人たちは、それを嫌う。

「何!あの格好、ジーパンびりびりじゃない!髪もぼっさぼさ!ちゃんと身なりくらい整えなさいよ!!」

「私たちは日本を守ってるの。守っていきたいのよ!」



むしろ、こっちの方が日本らしいとさえ感じてくる。


今、どんどん日系ベビー四世が生まれている。
これから、一世の方達が少なくなるとここはどうなるのだろうか。

他の移住地のように、日本らしさが薄れていくのだろうか。

そうさせない為に、ここの人たちはがんばっている。



いつまでもこのままで。









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イグアス移住地

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東京都と ほぼ同じ面積を持つ移住地。


そこは、まさに日本。



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ホテルからちょっと歩けば、朱色の鳥居があって、農協がある。
農協のスーパーでは、ほんだしが売ってれば、お茶漬け、ボンカレーがある。


火曜日は、農協にお饅頭が売り出される。

水曜日になれば、お寿司屋さんが開店。

金曜日になれば、お豆腐屋さんがワゴンで売りに来る。
                                      
週末になれば、ラーメンと餃子。あずきバーが食べられる。


日系人は勿論、パラグアイ人もこぞって買いに来るのですぐ完売になってしまう。

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日本人会という、生活環境整備・教育・治安・道路・文化など、移住者による自治会にて
広報担当の壱番さんから、色々とお話を伺った。

イグアス移住地の人口は 日系人 約750人。 非日系人 7300人。       
そもそも私は日系人の概念を、ここに来るまで勘違いしていた。

日本人が外国の国籍または永住権を取得すると、日本人から日系人と名前が変わる。
日本で生まれ、日本で育った純粋な日本人も移住開始と共に日系人になるのだ。
改めて、色々とわかっていない事が多過ぎて、我ながら恥ずかしい。。


日本人の海外移住は1860年代、ハワイに移った事から。
移民の大部分は農民であり、さらにその大半が自家の経営を立て直すことを
目的とした、いわゆる出稼ぎ労働者として渡航。  


それは、ここパラグアイも同じ。
その為、農業が盛んな地方、高知・岩手・北海道からの移住者が多い。

パラグアイは、幾度の戦争に負けて、人口激減、
若い男性の数が減ってしまったことから移住政策を取る。

日本から、船に揺られる事一か月半。新しい国での再スタートを心に、一世の方達はやって来た。
私が話を聞いた方は、船の中で9歳の誕生日を迎えたそう。


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パラグアイは農業大国。
この移住区では、基本的に全て自給自足している。
野菜もお米も、お肉もすべて。

大豆畑を中心に、菜種、ひまわり、お米などの畑が広がり、まるで日本の田舎を想わせる。


実際、みなさんどれくらいの畑をもっているか。
農家に付き平均200ヘクタールの土地を所要。1000ヘクタール以上持つ人も!!

日本の平均は2ヘクタール弱程。。
どれ程ここの畑が広いか。。
うちの畑はあそこまでっていう説明なんてできっこない。。

北海道の農家さんが、うちの土地はでっかいと自信満々で視察に来るが、
圧倒的な差を目の前にして、みんな急におとなしくなってしまうそう。。


もともとパラグアイという国は、日本人が移住してくるまで野菜作りをしている農家はいなかったとか。
あっても、マンジョーカ芋という、中学生の時に地理で習った、あのキャッサバと、豆類を
自給自足程度に作っていたくらい。野菜はほとんどなかった。

しかし肉食中心のパラグアイ人と違い、魚や野菜を主に食べてきた日本人移住者。

当初、森を歩いては食べれるキノコや野菜になるものを探して食べ歩いたらしい。
そしてきゅうり、ピーマン、キャベツなど、自分たちが食べる野菜を作りはじめ、それを市場に紹介し、
それはパラグアイ人も初めて見るものばかりでどう食べていいかわからず、
うまく料理できず捨ててしまう始末。。
移住者が現地の人に配っては教え、自道な努力を重ねた結果、
「日本人移住者がパラグアイの食卓を豊かにした」「食生活だけでなく、体質も改善された」
と感謝されているんだとか。


そして、イグアス移住地で日系人が開発した大豆の「不耕起栽培」
それはパラグアイ全土にまで広まり、パラグアイは世界第4位の大豆輸出国へと成長した。

パラグアイの農業分野において、日系人は大変重要で欠かせない存在なのだ。

ここには井戸だってある。
首都のアスンシオンでは水道水は飲めないが、ここは生水をそのまま飲むことができ
ほんのり甘味を感じる美味しい水だ。

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イグアス移住地には、居酒屋がある。

私の苦手なビールしかも大瓶と、ウイスキーしかないところだが、
そこに行けば、仕事終わりの一世の方がいらっしゃるそうな。
日系人の方、特に是非一世の方から当時の話が聞きたかった。
女子ひとりであったが、いざ乗り込んでみる。


伺ったことによると。。

外務省の手続き、日本の受け入れ準備隊の準備が思う様に進まず
移住者は農業に適した土地があるからと国から聞いたものの、いざ来てみれば見渡す限りのジャングル。

野焼きしながら、鎌ひとつで、自分たちの居場所を作ることから始まったのだ。
本物のリアル開拓者。

そんなところから自分たちで切り開いてきたのだ。
食事もままならず、南京虫に体中やられる。

それでも、朝、眼前に展開した光景は何であったか、それは祖国の田舎風景そのままであり
胸のうちは全く夢のような感じで一杯になり、ほれぼれと付近一帯を眺めいったそう。

想像を絶する苦労話であるが、だからこそ、この場所に移住地ができたのだとも思わされる。




日本人の強さを、改めて感じる。
日本人魂の強さ。


今回の地震のことも、ここの人達はみんな口を揃えて 「日本は大丈夫だ!」と言う。
当時の悲惨な状態と重ね合わせてるのだろう。

どんな悲惨な状況でも、みんなで協力して助け合いながら、
成し遂げることが出来る力を日本人は持っていることを知っている人たち。



日本人であることに誇りを想う。


そろそろ居酒屋から帰ろうかなと思った頃、一世の方がお酒をご馳走してくれ
ビリヤード行く?行く?行こう?とお誘いしてくれた。


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2011.08.08 いい時期
ふと考える。

いい時期って、なんですか。



近所のおばちゃんとかに「今が一番いい時期ね!」 「大事な時なんだからしっかりしなくちゃ!」
とか言われ、肩をバシっとたたかれることってありますよね。

いやいや、私はいつでも生れてから死ぬまで 揺り籠から灰になるまで
私の人生、私にとって、きっと全部いい時期で、大事じゃない時なんて無いですよ?って思ってた。

ちょっとひねくれてるんでしょう、きっと。




イグアス移住地に来て、びっくりしたこと。

それはこないだ書いたお客さんが私だけ状態。
園田宅を、あこがれの私の城にしてしまったこと。マイ スイート ホーム。

園田の兄貴に、お客さん一人って聞いてびっくりして「こんなことあるんですね。。」
と言うと「ブラジルのカルナバルや南米の夏に合わせて、つまりいい時期に多いからね」


はて、いい時期とな。


もう一つびっくりしたこと。

すっごく寒い。
今までの南米生活、約5か月でここが一番寒い。
自他共に認める寒さに強い私だけど、山にいるわけでもないのに、とりあえずすっっごく寒い。
一日中あったかスパッツを仕込まないと生きてけない。

つい3日前までは半袖じゃないと!っていう猛暑だったらしいけど、もう冬になったらしい。
私がガッカリしていると、園田兄貴が「だって暦で言うと冬ですよ、当然です」って。

そりゃそうだ。

アミーゴに日本の夏休みを思い出せる所だって聞いてたから、低地だし、赤土の大地だしぃ、
暖かいって勝手に思ってた。

ごめんなさい、パラグアイ。
見た目がアジアっぽくても、そりゃ冬も来るよね。私が間違いなく勘違い野郎でした。お恥ずかしい限り。


だから、私が今見てるパラグアイは、日本の冬休みかもしれない。


じゃぁ、今はいい時期じゃないの?



そんな疑問、あっという間に解決した。

私はペンション園田にお世話になってるわけだけど、
宿の目の前、敷地内に旅行会社があって、その事務所で園田兄貴が働いてる。
つまり園田家はペンションと旅行会社を経営している。
園田さん宅は旅行会社の隣。まぁ近い!

初めは、宿にいてちょっと寂しいと思ったスタートだった。
園田兄貴達がそんな私に気を使ってくれて、アルゼンチンやパラグアイでよく飲まれる
マテ茶を飲む時間になったらペンションに来て「マテ飲んじゃう?今から事務所でマテタイムだから♪」
って優しい言葉。
マテを初めて飲む私に、マテの作法を教えてくれ、車で親戚を学校に送りに行くのに
一緒に連れてってくれたり、ゴチになったり、何かなくても事務所に遊びにおいでって言ってくれる。
園田家の料理長に、家族の晩御飯買いにシュラスケリア行くけど?って言われれば、
ついていってみたり。

こんなに構ってくれるなんて。。。。


その上、南米に来てからたまに私のイカレPCは電波をキャッチしながら、
なぜかネットが繋がらない、とんでもなく素晴らしくない一揆をおこし、最近は頻発して、
もう私は耐えられなくなってきてた。
この宿でもwifiが使えるのに、やっぱりネットを使えずそれを園田兄貴に相談すると治してくれたり。。
何から何までお世話になった。

パラグアイだけに限らず、物が有り触れてる所でなければ自分でやらないといけない。
つまり何でもできる様になってくる。
ボリビアにいる時も、何もない山中で車に何かあれば、自力で治すおじさんはたくさんいた。
皆自分でできるのだ。
私たちの日本みたいに、先進国では考えられないこと。


ペンション園田は、有名な日本人宿。
日本人バックパッカーが集まるところ。


別にここで日本人に会いたいわけじゃない。散々ボリビアで日本人と絡んでた。


ただ、私は夜がこわいだけ!!!笑。


そして実際、3日目にして日本人が一人ペンションにやってきた。
夜になるとぶるぶる震える私を解放してくれてありがとう。
けど、つまり、私の城ではなくなった。。



ニューカマーが来る時までには、ここイグアス移住地の遊び方がわかっていた。

ここでは、いかにローカルの中に入っていくか。

これに尽きる。



他の場所だって、いかにローカルに混ざるかで楽しさは変わってくるのは確かだが、

ここには

世界遺産の何かがあるわけでない。
ディズニーランドがあるわけではない。
遺跡があるわけでもない。


ここは、1961年にJICAの前身である日本海外移住復興株式会社が購入して、
調査・開発された日系移住地。今年は入植50周年を迎えた。世界で一番新しい移住地。


他にも世界中に日本人移住地はあって、ブラジルとか日系人が多いのは常識だけど、
ブラジルが日本人の移住受け入れを始めたのは1890年代。日本の心を忘れた日系人がほとんど。



入植50周年ということは?

他の移住地には無い、ここの移住地の魅力はつまり!

まだまだ日系一世の方達がそこらへんにいるのだ。

そんな移住地だったら、日本人旅行者ではなく日系人の方達と絡むのが一番楽しい!!
いろんな話を生で聞けることが、私にとってここの移住地の一番の魅力!素晴らしいところ。


って思うと、私は宿に来た日本人旅行者と全く行動を共にせず、外に繰り出すのみだった。

その人がただ、私にとってはつまらなかったのかもしれないけど、
待ってたはずのニューカマー、楽しみ方がわかると、急にどうでもよくなってしまった。
一人の時間が元から結構好きな方でもあったので、それがなくなったかと思うと
なんだか寂しい。。っていうのが本音。


パラグアイのいい時期って?

確かにもっといい時期もあるのかもしれない。

けど、別に私にとっては今が凄いいい時期。


園田兄貴も、こんなに遊んでくれなかったかもしれないとか思うと、寂しいもん。



明日からはもっと、ディープな移住地生活を送ろう。

アミーゴに勧められた パラグアイ。


そこには日本人が戦後、移住し開拓した イグアス移住地がある。


ブエノスから20時間バスに乗り、首都アスンシオンまで。
アスンシオンに着いたら、イグアス移住地に向けてまた更に揺られること5時間。

2階建ての、見た目がそこそこ立派なバスにしたのでアルゼンチンのバスと
そこまで変わらない印象だった。

アルゼンチンのバスは、長距離だとフットレストが付いていて、温かい食事付き、中で映画も見れる。
とっても快適でびっくりするほど。

しかし、やはりアルゼンチンも経済が一度破綻しているといっても
1/3から半分の国民が貧困に喘いでいると見積もられるパラグアイ。一緒にしてはいけなかったかしら。ごめんなさい。

2階建ての割に、お客さんが10人も載っていない状態でバスは出発。
ターミナルを出発後まもなく、バスが頻繁に止まり、乗客を乗せ続け、ガラガラでラッキーだと
思っていたが、幻。あっという間に、座席に座れない立ち乗りのお客さんでいっぱい!
トイレにも進めやしない程の混雑っぷり。

アルゼンチンから来て、パラグアイのバスターミナルしか見てなかった私にはびっくり。
それと同時に、さっそくの溶け込み易さを感じる。


ターミナルを出れば、なんだか懐かしい。
都市を離れると、アジアを思い出させる赤土の大地が広がっている。


これが見たかった!!
ボリビアで若干見飽きたアンデスのインディヘナもいない、首都でさえ少し素朴。
なんだか落ち着く感じ。

バスを降り、ホテルへ向かう。
イグアス移住地といえば!日本人バックパッカーが揃って、必ず行けと言う ペンション園田。
そこに向かう途中、車に乗ったお兄さんに話しかけられる。


お兄さん 「何をお探しですか?」
私     「えっと。。。ペンション園田さんを。。。」

お兄さん 「その黒い鉄門のところです」

日系人がいる地域だと知っていたが、完璧な日本語。
日本人が持つ優しさをはるかに超えてる気にもなってくる。


おかげ様ですぐに、迷わずペンションに着くことができた。

ペンションのスタッフさん達も完璧すぎる日本語で、宿のことを案内してくれる。
スタッフさんは勿論、園田家もしくは御親戚の方々。


「ペンション、好きに使ってください」


え?!

なんで?!

どういうこと?!


あんなに大人気のペンション園田さえ、貸切にしてしまった。。
お客さんは私 ひ・と・り。


そこそこのホテルの数、泊ってきたと思ってたけど
まさかの私の大事な初体験持ってった、ペンション園田。

このホテルは、元々園田さんご家族が住んでいた家をホテルにしたもの。
園田家は、ホテルの目の前に建てた新しい家に住んでいる。

だから、他のホテルと違い、本当に、マジで私しかホテルの建物の中に人はいない。
パソコンも服も、きれいに片づける必要はない。
テレビも好きなものを好きなだけ見れる。
洗面台に歯ブラシを置きっぱなしにしてみたり。

一人っきりの宿。


夜が怖い!!

と怯えながらの、パラグアイのスタート。




園田のお兄さんが、寝る前にとっても大事なことを教えてくれた。


今まで約500人がペンションに泊りました。
その内の3人、夜にね、見てますよ。


何とな?!



お手柔らかにお願いしたいところです。

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