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buena vista social club

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キューバにおけるテーマは、音楽留学。


何かを習うわけではない。
サルサ踊ったり音楽を聴きに、楽しむという意味での遠まわしの留学。


キューバは宿代が今までに比べると割高(朝・夕食付きの約15ドル)になるが、
滞在した3週間と少しの間は、食費や移動費は削っても
ライブを聴きに行くことに関しては思う存分にお金を使って遊ぶことに決めていた。

ここ最近はお金を使う遊び!というのは、ご無沙汰もいいところ。

贅沢だ。


バンコクでシーフードを食べてやろうと、朝食を100B(300円)も払って屋台で食べた、あれ以来。。
いや、ラパスで山盛りの唐揚げを作ってお腹いっぱいになるまで食べた、あれ以来か。。
贅沢と言えば、つい食べ物ばかりを想像してしまった。


とりあえず、久しぶりの好きなことにお金を使うことにすると、

気持ちよくて堪らない。


まずキューバに着いた初日から、空港でナンパした紳士ケンジくんに昼ごはんも与えず、
酷暑の中、1時間近く迷いながら歩かせ、週に一度の無料ライブへ向かう。

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callehon de hamel

ここで聞けるのは本場のルンバ。
ちなみに、ルンバ・マンボ・チャチャチャ・サルサはキューバ発祥の音楽。

少しキューバの音楽の前に歴史に触れておくと、解り易い。
コロンブスに発見されるまでのキューバは、南米はギアナ地方辺りが起源の原住民が暮らしていたが
スペインの植民地化が進むにつれ、アフリカからの奴隷産業(主にナイジェリアや西アフリカから)が
盛んになり、次第に原住民が絶滅。

その為、もともとキューバ音楽はアフリカの太鼓演奏が起源。
黒人奴隷の太鼓を使った踊りをベースに、スペインから持ち込まれたギターが加わり、
アメリカ南部からはジャズの管楽器やピアノが持ち込まれ、
ルンバからソンが生まれ、サルサに発展していった。


先に言ってしまえば、ブエナビスタの映画で演奏される音楽はソンというジャンル。
私はキューバ音楽の中で、これが一番好き。

カトリックが支配するスペイン圏では、それ以外の宗教は邪教となる。
キューバでも、原住民としていたインディヘナをはじめ、奴隷として連れてこられた黒人達に
スペインが強制したのはもちろんカトリック。

家にキリスト像を置き、あたかもカトリック教徒を装い自分達の先祖の神を称えた黒人達。
そこから生まれた混合信仰宗教「サンテリア」

callehon de hamel で演奏されるのは、そのサンテリアの宗教音楽なので、
踊り手の動きは、動物的でもあり何かが憑依した様にも感じ
歌い手の声は、言葉にもならない奇声が混じる。

これはアフリカだ、、と思いつつ
本場の本気の音楽を生で聴くと、若干怖さも感じる程だが、
事前に勉強していたからか理由がはっきりわかる。
叫びそのもの。

キューバ人と言えど、やはり血はアフリカか。

アフリカの地を踏んだことの無い、アフリカ人。



キューバの音楽留学として、最初にここに来て大正解。


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ブエナビスタの映画に出ていた人にどうにか会えないかという下心を抱えながら、
到着した初日から相当疲れている日以外は毎日、昼も夜も関係なく音楽を聴きに出かけた。

キューバは、主要産業のひとつが観光業の為、そしてこれからここを伸ばせば
国にお金が入ることを国が意識し、外国人に悪さをすれば他の国には無い程の重罪が下る。
そのせいか、夜中2時ごろ一人で歩いていたとしても襲われることは普通無い。
泥酔して公園で寝てれば、知らぬ内にパンツ一丁だけにされてしまうらしいし、
詐欺だったり軽いひったくりとかは、ハバナなら多少あるらしいけど、
基本的にとても治安がいいから、気軽に遊びやすいのだ。


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ハバナの一等地にあるバーや、ハバナ一のホテルでやっているライブでは
ブエナビスタのメンバーがバンドメンバーにやってくる!というのを売りに人を集める。
がしかし、確かにブエナビスタソシアルクラブの一員だが、もちろん映画に出演してた人ではなく
映画に出た人達の後輩にあたる。

初めはウカれていて、それに気付かず高めのチケットを事前に買い、
一番乗りに会場に行き一番いい席を抑え、いざ控室にやって来るミュージシャンを、
控室に潜入して待ったりした。

私が映画に出た人に会いたい!と彼らにいくら言っても、
なかなかそこから現実に繋いでくれる人はもちろん少なく、
自分の話になることが多く、ブエナビスタの後輩メンバーはショーの直前に来る。
ショーが終わってから、控室に急いで直行して探しても、もう既に彼は帰った後。
なかなか簡単にはいかないものだ。

しかし、高い料金を払って行った甲斐あって、普通のライブでは味わえないサプライズをしてくれる。
事前に控え室に行き、私がおしゃべりを共にしたミュージシャン達は、
ソロの時に前に出てくる人達だった。

つまり、ショーも中盤になり、T字になった舞台の踊り場に出てきてそれぞれソロで演奏する時になると
パーカッションの人なら、ソロが終わると私の席の前までわざわざ来て太鼓叩かせてくれたり
トランペットの人なら、ソロが終わり定位置に戻る時にウインクしてきたり、
ボーカルなら、「みんな、今日は来てくれてありがとう!グラシアス マイコ!」とマイクで言ってくれる。


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こっちがグラシアスだ、アミーゴ。

こんな気分、なかなか味わえない。


しかし後でわかったことには、コンパイ・セグンドに続くメインボーカルのイブライム・フェレール。
彼の孫には会えていた。

私が行ったライブのメンバー内に彼の孫がいたのだ。

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映画に出ていた人も高齢者がほとんどなだけに、メインメンバーは結構亡くなっている。

Eliades Ochoa いろんなところに通った甲斐あって、オチョアの友人に
会うことはできたがメキシコ旅行中だから1カ月帰ってこないよ、とのこと。


彼らに会えるとしたらハバナだと思うが、キューバの旅をハバナだけで終わらすこともできない。


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南部 santiago de cuba に向けて 音楽留学を続ける。


私の好みだが音楽に関して言えば キューバ南部 santiago de cuba が一番いい。
商業用の音楽だけではなく、そこらへんで音楽を楽しんでいる人が一番多かった。
本屋の中でさえ、ギターがあれば歌い踊りだす。

前に書いた ソン というジャンルはサンティアゴから生まれ、
ブエナビスタに出てくるミュージシャンもここの出身がほとんどだ。

街としてはイマイチで、私にとってサンティアゴはライブだけだったので長居できなかったのが残念。



その次は最南端でチョコが有名な baracoa 


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映画が世界中にヒットしたために、映画の中に出てくる有名な曲なら観光客相手に
そこら中のバーで演奏されるが、ソンのそれ以外の曲をハバナで聞くのは難しい。

ハバナでのキューバ音楽のレベルは高いと思うが、
ここで聞けるのはルンバやサルサ、ジャズの類。
私はよくわからなかったが、ハバナで聞けるジャズのレベルは結構高いらしい。


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ハバナでは、有名なところよりも、新市街のホテル ナシオナルの裏あたりにある
ディスコテカのサルサのレベルが一番高い。
現地の人でいっぱいになり入場制限がかかり、待っている人達を見れば皆お洒落だ。
しかし娼婦もいっぱいいれば、全身白い服で固めた男の人は踊らし屋なので要注意だ。


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fresa y chocolate という有名な映画のタイトルから名前を取った
ライブハウスでソンが聞けるらしいが、私は何度行っても、
実際スケジュール通りにライブがやっていたことが無かった。
なんとも言えん、これもキューバ。


ロックフェスティバルが近々開催されるという情報が入り、
事前から聞きまくって、昨日終わったよと言われる。


キューバは、確かな情報を掴むのがなかなか難しい。


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中部 camaguey 辺りから南部にかけてcasa de la trova という

老舗のライブハウスが転々とある。日本語訳すれば伝統音楽が聴ける家といったところか。
そこに行けば、ソン 或いは ソンがmixされたサルサ が聞ける。

中には一日のライブスケジュールが 正午・3時・5時・8時・10時 と
サービス満点なトローバもある。

2CUC(約2ドル)のモヒートを飲みながら音楽に酔いしれる。


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一日に何度も、キューバ人に踊りを誘われる。
誘ってくれる人も、20代から70代くらいまでと幅広い。

トローバか、ディスコテカしか開いてない時間に外にいれば、
今夜踊る相手がいないんだけど・・・というナンパにあう。

ボーカルも、マイクが要らない小さいハコの場合、お客さんと歌いながら踊る。
コロンビア同様、踊れないキューバ人なんていない。
流れてくる音に乗って、初めて会った人とピッタリの息で踊っている。
さっきまで女の人と踊っていた男の人が、次の曲では男同士で踊りだす。

フロアの中や、トイレの前、バーの目の前、
通りがかったレストランから音が聞こえれば足を停め、手を取り合って踊る。
どんなにスペースが小さくても、音が聞こえれば踊りだす。

彼らにとって、音楽はご飯食べたり寝たりするのと一緒。


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どこのトローバでも、コンパイ・セグンド程ではないが、
ハバナよりもミュージシャンの年配率が上がる。

1907年に生まれたコンパイ・セグンド。
1902年にスペインから独立した直後のキューバを知る、貴重な存在だった。

冷戦時代、キューバ危機、経済危機  激動過ぎたキューバの20世紀。

buena vista social club で世界にキューバ音楽を知らしめた彼らの世代は、
アフリカでもない、ヨーロッパでもない、キューバ独自の文化を創った世代だ。



この音楽と、キューバ人のあの陽気があれば

フィデルが死んでも、たった5歳差の弟ラウルが死んでも、キューバは変わらないと思う。


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