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イグアス移住地

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東京都と ほぼ同じ面積を持つ移住地。


そこは、まさに日本。



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ホテルからちょっと歩けば、朱色の鳥居があって、農協がある。
農協のスーパーでは、ほんだしが売ってれば、お茶漬け、ボンカレーがある。


火曜日は、農協にお饅頭が売り出される。

水曜日になれば、お寿司屋さんが開店。

金曜日になれば、お豆腐屋さんがワゴンで売りに来る。
                                      
週末になれば、ラーメンと餃子。あずきバーが食べられる。


日系人は勿論、パラグアイ人もこぞって買いに来るのですぐ完売になってしまう。

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日本人会という、生活環境整備・教育・治安・道路・文化など、移住者による自治会にて
広報担当の壱番さんから、色々とお話を伺った。

イグアス移住地の人口は 日系人 約750人。 非日系人 7300人。       
そもそも私は日系人の概念を、ここに来るまで勘違いしていた。

日本人が外国の国籍または永住権を取得すると、日本人から日系人と名前が変わる。
日本で生まれ、日本で育った純粋な日本人も移住開始と共に日系人になるのだ。
改めて、色々とわかっていない事が多過ぎて、我ながら恥ずかしい。。


日本人の海外移住は1860年代、ハワイに移った事から。
移民の大部分は農民であり、さらにその大半が自家の経営を立て直すことを
目的とした、いわゆる出稼ぎ労働者として渡航。  


それは、ここパラグアイも同じ。
その為、農業が盛んな地方、高知・岩手・北海道からの移住者が多い。

パラグアイは、幾度の戦争に負けて、人口激減、
若い男性の数が減ってしまったことから移住政策を取る。

日本から、船に揺られる事一か月半。新しい国での再スタートを心に、一世の方達はやって来た。
私が話を聞いた方は、船の中で9歳の誕生日を迎えたそう。


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パラグアイは農業大国。
この移住区では、基本的に全て自給自足している。
野菜もお米も、お肉もすべて。

大豆畑を中心に、菜種、ひまわり、お米などの畑が広がり、まるで日本の田舎を想わせる。


実際、みなさんどれくらいの畑をもっているか。
農家に付き平均200ヘクタールの土地を所要。1000ヘクタール以上持つ人も!!

日本の平均は2ヘクタール弱程。。
どれ程ここの畑が広いか。。
うちの畑はあそこまでっていう説明なんてできっこない。。

北海道の農家さんが、うちの土地はでっかいと自信満々で視察に来るが、
圧倒的な差を目の前にして、みんな急におとなしくなってしまうそう。。


もともとパラグアイという国は、日本人が移住してくるまで野菜作りをしている農家はいなかったとか。
あっても、マンジョーカ芋という、中学生の時に地理で習った、あのキャッサバと、豆類を
自給自足程度に作っていたくらい。野菜はほとんどなかった。

しかし肉食中心のパラグアイ人と違い、魚や野菜を主に食べてきた日本人移住者。

当初、森を歩いては食べれるキノコや野菜になるものを探して食べ歩いたらしい。
そしてきゅうり、ピーマン、キャベツなど、自分たちが食べる野菜を作りはじめ、それを市場に紹介し、
それはパラグアイ人も初めて見るものばかりでどう食べていいかわからず、
うまく料理できず捨ててしまう始末。。
移住者が現地の人に配っては教え、自道な努力を重ねた結果、
「日本人移住者がパラグアイの食卓を豊かにした」「食生活だけでなく、体質も改善された」
と感謝されているんだとか。


そして、イグアス移住地で日系人が開発した大豆の「不耕起栽培」
それはパラグアイ全土にまで広まり、パラグアイは世界第4位の大豆輸出国へと成長した。

パラグアイの農業分野において、日系人は大変重要で欠かせない存在なのだ。

ここには井戸だってある。
首都のアスンシオンでは水道水は飲めないが、ここは生水をそのまま飲むことができ
ほんのり甘味を感じる美味しい水だ。

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イグアス移住地には、居酒屋がある。

私の苦手なビールしかも大瓶と、ウイスキーしかないところだが、
そこに行けば、仕事終わりの一世の方がいらっしゃるそうな。
日系人の方、特に是非一世の方から当時の話が聞きたかった。
女子ひとりであったが、いざ乗り込んでみる。


伺ったことによると。。

外務省の手続き、日本の受け入れ準備隊の準備が思う様に進まず
移住者は農業に適した土地があるからと国から聞いたものの、いざ来てみれば見渡す限りのジャングル。

野焼きしながら、鎌ひとつで、自分たちの居場所を作ることから始まったのだ。
本物のリアル開拓者。

そんなところから自分たちで切り開いてきたのだ。
食事もままならず、南京虫に体中やられる。

それでも、朝、眼前に展開した光景は何であったか、それは祖国の田舎風景そのままであり
胸のうちは全く夢のような感じで一杯になり、ほれぼれと付近一帯を眺めいったそう。

想像を絶する苦労話であるが、だからこそ、この場所に移住地ができたのだとも思わされる。




日本人の強さを、改めて感じる。
日本人魂の強さ。


今回の地震のことも、ここの人達はみんな口を揃えて 「日本は大丈夫だ!」と言う。
当時の悲惨な状態と重ね合わせてるのだろう。

どんな悲惨な状況でも、みんなで協力して助け合いながら、
成し遂げることが出来る力を日本人は持っていることを知っている人たち。



日本人であることに誇りを想う。


そろそろ居酒屋から帰ろうかなと思った頃、一世の方がお酒をご馳走してくれ
ビリヤード行く?行く?行こう?とお誘いしてくれた。


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